★☆Passenger *minami*☆★

宝塚OG*71期生の真琴つばささんが大好きです。真琴つばささんのことを中心に私の日常も綴ります。

☆diary☆あたたかい陽射しに包まれる、夏… 2017年『にんじん』

柔らかな陽射しが客席に降り注ぐ…
その光のもとを辿ると
ただ静かに立っている人がいた。
とても清楚で美しい佇まいのその人は
ルピック家に仕える女中だった・・・

決して目立つことはない。
けれど、凛とした横顔と立ち姿が美しく
それは彼女の生き方そのものを物語る。


こんばんは~!!(*^^*)
お元気にお過ごしでしょうか~!?
ここ数日は雨の影響で
気温が下がっているところが多いのかな…
こんな気候のときは、体調を崩しやすいので
お互いに気をつけましょうね~!!

新橋演舞場で上演中の『にんじん』。
約1ヶ月の長期公演も折り返し地点を過ぎ、
残すところあと9公演となりました。
公演が始まると早いですよね~!!!

前回の記事から、またまた日が過ぎてしまいましたが
既にご覧になった方が沢山いらっしゃるのかな?
いかがでしたか~!?(*^^*)

実は… 私は残酷物語が苦手です。
恐らく、同じ想いを感じている方は多いと思います。
この『にんじん』は
残酷物語の定番とも言えるような作品なのですが、
何故か、あたたかい・・・
勿論、ルピック夫人のフランソワ(にんじん)に対する言動や行動には
直視できないほどの切なさと辛さがあります。
なのに、その経緯を観ている客席は
とても優しくてあたたかい。
それがすごく信じられないのですが
居心地の良ささえ、感じています。
笑い声も、すすり泣きの声もあたたかい。
そして、ふと… スポットの陰に隠れた舞台端を見ると
客席と同じ想いを抱えているアネットの姿が
そこにあります。
この客席に降り注ぐあたたかい陽射しは
アネットの心、そのものなんだろうな… と、そう思います。

真琴つばささんが演じるアネットは
ルピック家に仕える女中です。
ルピック家では中立な立場で存在し、
観客にとっては代弁者のような立場でもあります。
その存在感の出し方が、場面ごとにとても相応しく
出すぎることなく、匙加減が丁度良い。
しかし、必要なことはしっかりと述べていて
難しい役なはずなのに、それを感じさせることなく
とても適切な表現で自然に存在しています。
恐らく、マミさん(真琴つばささん)がアネットに対して
『審判』という表現を使ったのは
そんなところを総合的に判断してのものだったのだろうと思います。
この…『中立である』というところが
真琴つばささんが表現するところの『審判』なのだろうと。

私は最初、『中立』ってどう表現するのだろうかと
そこが全然思い浮かばなくて
何も分からないままに初観劇をしました。
前回も書きましたが
心を無くしたアンドロイドのように
何があっても心を動かさない。ということで表現するのかな… と。
『審判』と聞くと、私の中に浮かんだのは
『ブラッド・ブラザース』のナレーターでした。
あと… 荻田浩一さん演出の『CHESS』でのアービターです。
このアービターは日本語では『審判』と訳されていて
彼は、アービターという名称で呼ばれながらも、
それは名前ではないんですね…
とても中性的な役で、人ではなかったかのようでした。
恐らく、そのイメージが私は強かったのでしょうね。
ちなみに…
この『CHESS』には、私はめちゃめちゃハマりまして
劇場のアンケートに
真琴つばさアービターVer.が是非とも観たい!!!と
しつこく書いた記憶があります。(;^_^A

めっちゃカッコいいですよ~!!!
絶対、はまり役になるはずです!!o(≧∇≦)o
しかし… 今のマミさんは“カッコいい”と言われない役を演じたいようなので
その夢は遠くなりましたけどね。f(^_^;
ご興味のある方は、検索してみてくださいね!
荻田浩一 チェス アービター』で出ると思います(*^^*)

さて、本題に戻ります。
その前に~!!
真琴つばささんがブログを更新されました~!!ヾ(o≧∀≦o)ノ゙
こちらです!!!

ameblo.jp


で、、、そうなんですよ…
なので、簡単に言うと
アネットは
もっと冷たい人なのかな?と思っていたら……
花道からの登場から
めちゃめちゃ可愛かったんですー!!(@_@;)
とは言っても
アネットの可愛さは、人としての持ち味としての可愛さで
作り込まれたものではないんですよね。
そこにアネットの人柄が見えるようです。
飾らず素朴で、真面目で素直。
間違っていることは誰に対しても
『違う』と言える凛とした清々しさがあります。
また、にんじんとの場面では、
人は唯一無二の存在であり平等であるという
アネットからのメッセージも感じます。
アネットは、ルピック家が住む村(かな?)とは
遠く離れた村からやって来たので
にんじんに対しても何の先入観もありません。
だから、にんじんが理不尽な扱いを受けていることが
アネットは不思議で不可解で仕方がないのかな?と思いました。
そして、にんじんが自虐的とも言える言葉を並べてしまうほどの心の闇。
母親を『奥さん』と呼び、
その母親は息子を冷たく『にんじん』と呼ぶ。
そのこともアネットの心に引っ掛かる…
それが、にんじんとの出会いの場面でした。

ルピック家の女中として仕えるアネットは
一般的な家庭とは、かけ離れているルピック家の歪な現実に驚き
その歪な関係性こそが
ルピック家のバランスのとれた通常であると知るんですね。
そして、そのバランスの要が“にんじん”であるのだと知る。
一般的な家庭を比較対象として判断するのではなく
ルピック家の現実を知るところから始まっていて
先入観がないんですね。
だから、ルピック家の一人一人を
常に平等な目で見ることができる。
その認識は、最後までブレることがないんですよね。
それが…
『中立』であるということなんだ・・・ と
アネットから伝わりました。
【注】あくまでも、私の感覚なのでね。
マミさんは…
そうじゃないわーーっ!!!ι(`ロ´)ノ
と、暴れるかもしれませんけど… (;^_^A

この『中立』の表現って
本当に難しいですよね・・・
アネットとしての想いに揺れそうになる。だけど
『女中』という立場を貫くことで
常に中立でいられるのだと思います。
ふと見せる、にんじんへの愛が見える瞳であったり
葛藤の表情に
アネットの想いが見えるのですが
アネットが心情を垣間見せるとき…
その場面は、ルピック家の騒動が中心になっていて
アネットは、その騒動から離れたところで存在を消して
見守っているんですね。
そして、『女中』としての立場で
必要なときに
必要なところだけ介入します。

まだ、物語の冒頭の部分だけしか書いていませんが
この物語は“にんじん”という一人の子供を中心に
一人一人が本当の自分を許し、認めることで
成長していく過程を描く心理劇のようだと思います。
子供向けのミュージカルのように見えますが
ルピック家や、ルピック家を取り巻く人々の関係は
現代社会の縮図のようにも思えて
大人になった今だから分かる物語だと思いました。
考えるというよりも
心に直接語りかけてくれる物語で、
そこにいる観客の一人一人が
自由に心を動かし、
いろんな答えを自由に導くことを許してくれる物語なのだろうと思います。

なので、私の想いや感覚は
私だけのオリジナルなんだろうな… と思います。
共感できるところはあるのかもしれませんが
100%同じではない。けど、どの感覚も正解なんだと思います。

真琴つばささんが演じるアネットは
台詞が殆どありません。
最初のにんじんとの出会いの場面と
2幕のエルネスティーヌとのウエディングドレスの場面と
その2つの場面には、相手とのやり取りの台詞があります。
後は、短い一言だけ。
アネットの心情は歌で表現されています。
なのに、こんなにアネットの心を感じるのは
アネットの瞳と表情、
ちょっとした仕草と動きが語ってくれているから。
その心が、とても深くてあたたかい…
そこに、私たち観客は救われ
アネットを身近に感じるのだろうと思います。

舞台上の役者さんの一人一人の呼吸と想い、
お客様の呼吸と想いに合わせて
真琴つばささんのアネットは、
この物語の中で生きています。


マミさんの日々の進化が著しくて
毎回の観劇が嬉しくて仕方がないのです。


真琴つばささんは天才です。


つ・づ・く… (*´ω`*)




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